不謹慎、不見識

 人生はゲームである。
 最大のギャンブルである。
 いま、こう告げることは、
 不謹慎、不見識の極みであろう。

 父を亡くし、母を亡くし、
 夫を亡くし、妻を亡くし、
 子を亡くし、孫を亡くした人に、
 そんなことを告げるのは
 不謹慎であり、
 不見識であり、
 不道徳であり、
 言語道断であろう。
 ちゃんと「赤い血」が流れているのかと
 疑われもするだろう。
 
 最愛の人を亡くした人、
 家を失い、船を失い、店を失い、……、
 全てを失った人。
 残された者には、
 苦痛が、夜空の星ほどあるだろう。
 絶望が、海よりも深いであろう。
 体の傷はともかく、心の傷は癒えぬかもしれぬ。
 
 だが、やはり、それは
 癒されねばならない。
 だから、呆然と立ちすくんでいてはいけない。
 残されし者は、残された意味を知らねばならない。
 その訳を問わねばならない。
 何故、「わたし」なのかと。
 どうして、彼や彼女ではなく「わたし」なのかと。
 それは、義務であって、権利ではない。
 責任であり、使命である。
 怠れば、彼や彼女の存在意味は否定されかねない。
 
 生きることはある意味で幸運。
 しかし、残されしことは不運かもしれない。 
 残されし意味を知らねばならないから。
 それは問い続けなければならない。
 そうしなければ、おのが傷は癒えず、
 彼らの未練がのこり、悪夢に苛まれるかもしれない。
 残れなかった者のことを思うなら、
 残されし意味を求めなさい。
 思い出にふけってはいけない。
 思い出はポケットにしまいなさい。
 思い出に沈んではいけない。
 思い出は大切な友としなさい。
 先に旅立った者の抱いた夢を、語った言葉を
 知りなさい。
 彼らから託されたものを預かる。
 それが、人生というゲームでのあなたの役目です。 

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